プロジェクト・ヒストリー

赤羽工場の開場と生産の増強。<生産の増強と新たな用地の取得>埼玉県久喜町の久喜工場は、1946年(昭和21年)7月から1951年(昭和26年)前半の5年間にわたり操業しましたが、戦後の各種産業の復興に伴い、生産の増強を図るために久喜工場よりも大きな用地を探していました所、東京都北区稲付町に約700坪(約2300平方メートル)の工場用地が見つかりましたため、こちらを取得することになりました。ここは現在のJR京浜東北線赤羽駅から約5分の場所に所在し、交通の利便性も非常に高い立地でした。<赤羽工場の開場>その後、1951年(昭和26年)に東京の赤羽に新工場を開場いたしました。そのため、久喜工場は倉庫として利用することとなり、より一層の生産の増強が可能な態勢が整いました。